「ほら吹きまつり」は、もともと吉備津神社の祭りというものではなく、吉備津神社の節分祭(中祭)の付属的な民衆の娯楽が、いつのまにか「ほら吹きまつり」として有名になりました。
「ほら吹きまつり」の起源は明らかではありませんが、江戸時代にはさかんにおこなわれていたようです。しかし、毎年祭りに来る人は、みな八百年前にはじまったと信じています。なぜなら「ウソ八百」というでしょう…。
さて、さきほど「ほら吹きまつり」の起源について明らかではないといいましたが、神社に伝わる話によれば、節分祭の参眥おいてのねむけざましの雑談が、いつしか発達して「はなし」による情報交換の場となり、「はなし」好きな人たちの年に一度の「放談会」として定着したようです。
「はなし」が「ほら吹き」になった理由としては、「まじめなはなし」よりは、おもしろい「ほら話」の方がよいということは、ごく自然のなりゆきでしょう。
近ごろの「ほら吹きまつり」は「ほら話」や「色話」が主流をしめていますが、もともとはそうではなく、日ごろ聞くことの少ない珍しいニュースなどの「情報価値のある話」からはじまり、人が驚くような大きな「ほら話」、さらには「色話」へと話は尽きずに朝を迎えたようです。
もちろん、「ほら吹きまつり」は民衆が自主的におこなうわけですから、祭りのおこなわれており話のなかは無礼講で、殿様やさむらいの悪口など日ごろ言えないことや聞けないことを、誰にも気がねをしないで話題にできるという、民衆にとっては特別な空間なのです。
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