むかし村 楽市楽座について |
●楽市楽座 市のお話<■市とは ■市の歴史 ■市という場所 ■現在の市> |
「市」の歴史 -市の発生、やがて町の成立へ- |
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「日本書紀」によれば、既に5〜6世紀に大和国や河内国には、「市」が立てられたことが知られます。まだ貨幣が造られていない時代です。民衆のための市というより、権力者のぜいたく品の交換のための市と言われています。律令体制下では、都に政府が維持・管理する東市・西市が置かれ、交互に市が開かれました。全国の民衆から徴収された調(ちょう)や庸物(ようもの)などの余剰分が放出され、役所や寺社、貴族たちが必要物を求めたり換貨しました。備後国ではこの頃、葦田郡大山里(おおやまのさと)の住人品治牧人(ほむちのまきひと)が正月用品を買いに「深津市」に出かけた時の逸話が『日本霊異記』に出ますが、当時の地方の市については必ずしも歴史学界共通の認識に至っていません。 |
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中世もくだってくると、戦国大名などの権力者が市や町を支配しようとして圧力をかけます。そのような複雑な諸関係を廃止し、自由に商業させようと「楽市・楽座」の制度を実施したのが織田信長だと言うことです。 |
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楽市楽座・「市」のお話 2005/4/11update 1998/03/10open |