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素盞鳴神社祇園祭 今年の神輿は三色に色分け

福山市との合併後の初の「素盞鳴神社祇園祭」が十八日から三日間、新市町戸手の素盞鳴神社(江熊康夫宮司)であった。最終日の二十日夜には家族連れや浴衣姿の若者ら多くの見物客が見守る中、重さ約五百キロの神興が玉垣柱で囲われた結界の中で激突、見物客から「ガンバレ」の声援が飛び交った。
今年は三体の神興が三色で色分けされ、遠くからでも判別できる処置がとられた。新市神興=緑、中須新興=青、戸手・相方神興=えんじ、と各地区の法被の色に合わされた。

<祇園祭三日間の動き>

■七月十八日(金曜日)
 同神社で前夜祭執行。各地区でも町内会単位で前夜祭、盛り上がる。

■七月十九日(土曜日)

 朝、四地区の総代が神社に集まり、例祭が執り行われる。正午過ぎ、相方の氏子が高さ七〜八mの幟四基を奉納、本殿横に取り付ける(幟入れの義)。江熊宮司の手によって本殿の御霊が三体の神興に移される。中須祇園ばやし保存会の太鼓奉納後、三体の神興は戸手−新市−相方−中須を巡行する。
 夜、八時過ぎ、新市駅の御旅山に、中須、新市、戸手、相方の順で神興の渡御。傾斜45度の急坂を、数十人の氏子に担がれた神興が登山電車のようにゆっくりと力強く登る。神興が右に左に傾くたび見物客から大きなどよめき、担ぎ手に合わせて見物客も「オイサ」「オイサ」・・・の掛け声を送る。

■七月20日(日曜日)
 朝、芦田川に架かる佐賀田橋と芦品橋の中間地点、どんどんで相方の氏子が右岸から神興を投げ入れ、「神興洗いの儀」を強行する(京都の祇園会では鴨川で実施)。先日来の大雨で川は増水、濁っており、飛び込んだ氏子のひとりは、「泥臭かった」と顔をしかめていた。
 夜九時過ぎ、中須神興が帰還。続いて帰還した新市神興と九時五十七分に激突、一分三十五秒の押し合いの末、中須が新市を押し倒した。中須、新市の両実行委員長が神興上で握手、互いの健闘を讃えあった。
 続いて新市神興と戸手・相方神興が十時四十五に激しくぶつかり合い約三分、新市が戸手・相方に覆い被さり、勝負あった。



(7月23日発行  中国新聞・新市販売所・ファミリーより)

・新市町戸手   ・撮影日2003年7月23日


(感想)
私自身、恥ずかしいことに、この「神輿の激突シーン」は生まれて初めて見ました。
40数年間、すぐ隣りの地区に住んでいながら、実際にこの目で見たのは幸運だった。
話には聞いていたが、「凄い!ぞ!」。
この激突シーンの写真撮影は、観客より、少し高い位置から全体の動きを見ることができた。神輿を中心に人の渦が右へ左へ・・・、回転するのです。
それは、凄かった。ファインダー越しに見ていると、自分もその神輿の担ぎ手になっているような気になり、シャッターを切る手は汗が出るほどだ。
これは、やみつきになりそうで、終わった瞬間、来年はどういうアングルを狙おうかと考えていた。


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